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『SSSS.GRIDMAN』12話メモ

 これまで繊細に積み上げてきたものを大ナタを振るうように解決する、というのはアリだけど、僕が好きだったのはこの回で排された部分だったなー。

 

  • フジツボとかの海産物を連想させつつ何となく彼女の髪型っぽくもあるデザイン。
  • アカネちゃんが神様というのが肯定されちゃうのにびっくりした。
  • 裕太もコンポイドってことになるよな。グリッドマンはコンポイドと人間を差別しないけどアレクシスは本当の人間にこだわる。
  • アカネ怪獣は割とすぐやられるだろうとは思ったがグリッドマンノータッチとは。
  • アカネちゃんの怪獣への偏愛が半ば無理矢理去勢されてしまったのが悲しい。アンチとアノシラス親子の存在が救いっちゃ救いなんだけど、アンチは怪獣だと思えてないしアノシラスにはそもそも気付いてないっぽいからなあ。
  • どこからどう見ても電光超人はカッコいいけど若い子が納得しないからデザイン大きく変えた、みたいな話をしといてコレは本当に悪いオタクのする事だよ。僕も電光超人の方がかっこいいと思うけど。
  • 電光超人の復活で話が一気に昔の特撮みたいに大ざっぱになる、というのは分かるんだけど、それ以前の展開からも(大量の引用と尺の都合で)繊細さが失われてるのが受け入れがたい。
  • アレクシスは悪しき消費者って感じ。
  • グリッドマン最大の武器がフィクサービームってのは良かったけど、アカネちゃんのドラマが完全にスキップされたな。
  • アカネの町の荒廃は想像力の荒廃でもあるわけで町を修復することと彼女の本来の願望を取り戻すことが同一視されてるんだろうけど。
  • しかし現実の問題はフィクションでは解決出来ないという意味では倫理的な態度か。
  • フィクサービームを撃った時点でツツジ台とアカネの心の世界が同一視されてるからコンピューターワールドじゃなくてツツジ台が復元されるのね。
  • アカネちゃんが架空の町を一から創作できるような想像力の持ち主に見えないのが問題なんだよなー。劇中の姿は想像力が麻痺した結果なんだろうけど。
  • 普通に定期入れって言ってた。
  • アカネがこの世界で求め続けた愛が最後の最後にとうとう与えられ、それによってこの世界を離れた彼女が初めて見せた無償の愛が空から舞い落ちる雪の六花、というのはとても美しいと思う(裕太の両親とかもそうなんじゃないかという気もするが)。
  • 内海が特にアクションを起こさなかったのが最大の驚き。11話で何かしそうな流れだっただけに。
  • 何でアカネが六花を避けるのかはよく分からないままだったなー。卑屈メンタルだから綺麗過ぎる物からは逃げちゃうのかもしれない。
  • アカネが生きる現実も裕太たちの人生もグリッドマンのこれまでの戦いも番組の外部にある、という作りは美しいんだけどさすがに六花とアカネがお互いをどう思ってるのかは劇中でもっと描写が欲しい。
  • 結局劇中でアカネがグリッドマンの仲間になることも無ければ六花以外本当の友達も作れなかった(六花相手もアカネちゃんは納得してるかどうか怪しい)ところが不満なんだが、電光超人の一エピソードとして考えるとこのくらいがちょうどいい落としどころなのかも。
  • アカネちゃんは愛するキャラクター達のためにつらい現実を生きなければならなくなった訳でオタクらしい落としどころではある。
  • グリッドマンのデザインが元に戻ったり原典を汚染しないあたり良く出来た二次創作感がある。
  • これまでずっと何故グリッドマン勇者シリーズ引用が正義側でアカネの円谷怪獣引用が悪側なのか分からなかったけど、怪獣もツツジ台を生んだのと同じ想像力の産物だから引用自体は善なのね。
  • 地形に全然配慮しないグリッドマンの勇者っぽい戦いとか、単に破壊をもたらすものとしての怪獣というモチーフとか、特撮やヒーローものの破壊的な面が表現としては明らかに肯定的に描かれてるのにシナリオ上は否定的にしか扱われないのが釈然としないんだよな。やっぱり11話で変な期待をしてしまった気がする。
  • 僕が期待していたのはアカネが抱える捻じ曲がった、でも切実な願望に対してグリッドマンのあり方が回答の一つになることだったんだけど、最終回で示されたのは(今のところ)醜いアカネが美しいツツジ台を作り続ける、という感じのもので、願望自体は温存されたままなんだよね。
  • 世界を広げることでそういった問題についても妥協できるようになるんだろうけど(僕もそうだった。アカネちゃんのせいで思い出してしまったけど)。
  • あまり新条アカネ個人の話になるのは良くないとは思ってたけど、こうして固有性を剥ぎ取られて「フィクションの受容者/作者」の象徴として扱われるとちょっと......。アンチと六花しか個人としてのアカネちゃんの相手をしてくれなかったな(この二人も割と一方通行の承認しかしてくれない)、と思ってしまう。メタファーとしての厳密さとかテーマの一貫性ってそんなに大事でもないだろと。
  • はてしない物語』的な構造自体あくまで最終回のグリッドマンを輝かせるための物なんだろうし。
  • あとアカネちゃんの内面に関する描写が引用だらけなのはひどいと思う。キャラクターとしての尊厳ってもんがあんだろ! あの子にだって!