ブ日記

ウェッブでつける日記です。

もう誰もそんな事言わないけどオトナ帝国って子供の頃のアニメ特撮に耽溺するオタク批判みたいなとこあったよね

 オトナ帝国終盤のしんのすけのセリフって嘘くさい(何故なら原恵一は70年の方が絶対良かったと思いながら作ってたから)訳ですけど、その辺をくすぐるネタがあったのが良かったです。「大人になれ*1」が結論なのは結局一緒というとこも含めて。

*1:ネットのアホどもは大人とか成熟とかを個人の資質の問題にしたがる(そして成熟してたりしてなかったりする他人を見下したがる)けど、ここでいう大人とは立場の事だ。

『しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜(2023)』

 今年のクレしん映画観たんですよ。クレしん映画。3DCGの。キャッチコピーが評判悪いの。感想については最近の良くも悪くもにぎやかなクレしん映画より昔のダウナーな感じに近いなとか鉄雄状態がまんま鉄雄すぎとか、色々あるんだけどめんどくさいので置いときます。

 で、全体としては悪くない映画で終盤に入るまでは子供が観て楽しいものになってると思うんだけど、問題は終盤なんである。

 ネタバレになるが終盤は敵役……別に言っちゃって良いか、鉄雄状態の30男こと非理谷(つい非持手と書きそうになる)の精神世界的な所で子供時代の非理谷としんのすけが心を通わしたりなんだりする展開になるのだが、このパートが妙に長い。そしてちょうど30歳の男で子供時代は断然クレしん派だった僕には分かるのだが、幼稚園児の(つまり約25年前の)彼がカンタムのアニメを観ているシーン以降徐々に、非理谷が「子供の頃クレしんを観て育った世代」の象徴っぽく扱われるようになり、しんのすけもそういった見立て抜きにはちょっと理解し難いような言動をとり出す。

 ようは最近よく見る自己言及的に「キャラクターは今もこうして視聴者のみんなと共にあるよ」みたいなメタなメッセージを観客に送るこまっしゃくれたやつをクレしんでやってる訳だけど、ここで非理谷に感情移入出来るのってほとんど25から30くらいの男だけじゃない? 範囲狭すぎない? って思っちゃう。子供とその親が主要な観客になるような映画でやる事か? って。そもそも全観客のうち非理谷と似た境遇という点では上位10%に入るであろう僕が観ても退屈な展開を長々とやって子供が楽しいわけないだろう。(ただ、このパートがやたら長くなっている一因は先述のメッセージあるいは説教とは別に子供向けのお説教も盛り込んでいるせいだと思う。)

 そもそも子供が観る映画で「日本の未来は暗い」的な内容を割と説明的な台詞で何度も繰り返し言うなよとも思う。劇中に「子供達にそんな事言わないで!!」って吉永先生の台詞があるけどこの映画自体はそういった配慮を欠いてるのがヘンだ。全体的にメッセージの送り先がずれているような感じがある。

 とは言え子供非理谷が観ているカンタムに、失われたウン十年だかの日本の変わってなさ、クレしん自体がその一部である事を感じてちょっとゼツボー的な気分になったのは事実である。あと全体的に世代を超えるアイコンとしてのカンタムロボの扱いが良かったですね。世代と言えばこの映画観た人全員が持った感想だと思うけど今作のひろし何歳なんでしょうね。どう見ても35では無い。「我々の世代には憧れの車」発言とか見るにわざと上の世代っぽくしてる。そういや今オトナ帝国を観ると公開時には30代後半のひろしが万博世代で合ってたという事実に驚いてしまいます。

 好きな台詞は「まさかカンタムロボと戦えるなんてな。見せてもらおうか、連邦軍の実力とやらを」です。パロディのやる気の無さ込みで良い台詞。

 

ところでクレしん映画のしんちゃんにそんなに破天荒なイメージって無いな。僕が一番好きなヘンダーランドのしんのすけなんてただの純真な良い子ですよ。

寒い季節

 『冬が始まるよ。』の事なんて人生の各局面で何度でもどんなときも。考えてたけど、今さっき初めて気付いた。マッキーって(当時)隠れゲイなのに”髪を解いてみたり”なんて表現を思いついたんだ。

筋少は意外と平成

 日本の高齢化というのは全世界のあるいみ最先端を行くものであって、先進諸国各国いずれ自国にも訪れうる問題として結構真剣に捉えている訳ですが、ですが日本の少子化については日本よりひどい事になってる東アジア新興国とかならいざ知らず欧米諸国にとっては完全に人事であるらしく、「日本の若者はアニメに夢中で現実の恋愛に興味を示さないんだそうです!!」などとおもしろネタの扱いだったりします。BBCで見たから間違いない。クソッ、余所の国の話だと思って面白おかしく吹聴しやがって、お前もアニメ人間にしてやろうか!? アニメ人間だぞ。アーニメアニメアニメアニメ人げーん。アニメ人間ギャートルズ(事実)。アニメなのに本当のこととはこれいかに。

 

 つい連想のままにくだらないにも程がある文章を垂れ流してしまった。しかもだいたい全部昭和。皆さん、これが高齢社会の現実です。平成生まれでもこうなんです。非っ常にキビシー。日本はもう終わりです。オワニモです。ばよえ~んと連呼する声が聞こえてきました。これでいいのか。俺は高木ブーなのか。今皆さんの中から得意気に「日本を印度にしてしまえばいいじゃない」と宣う声を2、3聞きました。おしまいです。オシャマンベ。15歳でカードキャプターさくら

カズヤのつまらなFLASH倉庫

 2022年の後半にネットの(一過性の)流行りネタ満載の東方ボーカルアレンジを作ろうとしたときにタコピーを引っ張ってくるセンスと邪悪さはほんとに凄いと思う。まず思いつかないし、人の心があったらやらない。

だいたい90年代

 最近になって思うようになったこと諸々あるわけだけど、それらをなんとか纏めるならばつまり、潔くカッコよく生きて行こう、というものです。誰もが振り向く女になろう、と。男性は女になる所から始めて下さい。私はしてますからね、女になるための努力。常日頃から「あー女ってのは楽だよなーニコニコ人の機嫌取ってりゃ上手くいくんだからよー」等周囲に聞こえるように口に出して発言するよう努めてます。こうすることによって義憤に駆られた魔術や不思議グッズを操る女性が性転換なり入れ替えなり身体を粘土みたいに彫塑できるようにするジュースなりを使って私をTSさせてくれるという寸法です。しかしこれは他力本願ではないか。他人頼みはカッコよくないのではないか。まずいことになったな、これでは仮に女性になることは出来たとしても誰もが振り向く女は程遠いわけです。結局何事も自分の力でやっていかなければ仕方がないという事ですね。零式防衛術を窮めるなどの窮極の努力、それが求められるわけです。しかし、ここで疑問が。つまり格闘術を窮めた末に性を超越し女になるというのはやっぱり相当男らしいのではないか。ですからやっぱり、男らしくいさぎよく生きて行こう、という事になります。そしてごみ箱抱えてセンチメンタルになろうと。女性は男になる所から始めて下さい、女の子にはセンチメンタルなんて感情はないって言いますしね。